2009年10月13日 (火)

優先席‐座る?

電車やバスの優先席が空いていれば座るほうですか?

最近、若い人(特に、ギャルが多い)が全くわき目をふることなく一直線に優先席に座る姿をよく目にします。

小生はいい歳ですが、いまだに足腰が元気である以上は優先席に直行することに躊躇します。見渡して、他に誰も座りそうにないことが分かれば座ることもありますが、原則として、座りません。

学校では彼らに社会規範を教えていないのでしょうか? もちろん、法律違反ではありませんから、罰せられるとか、されないとかの問題ではありませんが、社会というのはそういう規範を守りながら成立しているのであり、それが守れない社会は無法社会の一歩手前の社会である、という程度のことは、「読み書きそろばん」と同時に教えて欲しいものです。最近は「読み書きそろばん」もおざなりですから、とても無理なのでしょうね。家庭ではどうなのでしょうか。やはり自由放任なのでしょうね。

人間も動物の一種ですから、放っておくと動物になります。教育がこれを防止します。西欧では宗教が大きな役割を果たしています。つまり、神との契約を履行することがキリスト教徒の基本的義務であり、神との間に「してはならないこと」に関して契約を結んでいます。日本では、これに代わるものとして、かつて、ルース・ベネディクトは「菊と刀」で「恥の文化」と言ったわけですが、「そんなことをすると恥ずかしい」という教育もしていないのでしょうね。

亀井暴言大臣が「家庭内殺人の頻発は大企業の責任」と言いましたが、原因はやはり教育でしょう。親が日教組教育を受けたために、家庭での教育もできず、まして、学校では日教組教育そのものですから、人間であるための教育は全く行われていないとなると、そうなるのでしょうね。

民主党政権下では日教組が益々権力を持ちつつあります。恐いですね。

(2009.10.13)

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2009年10月 4日 (日)

「全美貞」‐これ何と読む?

「金正日」、「温家宝」をなんと読むか、と言えば、日本のマスコミの殆どは、前者を「キムジョイル」、後者を「オンカホウ」と呼びます。「全美貞」は「ジョンミジョン」です。

何を言いたいかというと、朝鮮半島の人の名前が漢字(つまり、日本語)で書いてあるときには、朝鮮語の発音を使います。日本語でこのように読むことは絶対に不可能です。つまり、突如、韓国や北朝鮮におもねったかのごとく、国語を放棄して朝鮮語読みをします。日本の言語を放棄しています。

日本嫌いで共産圏好きの日本のマスコミの考え方からすれば、「温家宝」、「胡錦涛」等は中国語読みをするべきですが、これはあくまでも日本語読みです。

どういう考え方なのか、理解に苦しみます。日本語が乱れているという記事を新聞雑誌やテレビ番組でよく見かけますが、言っている本人が乱しています。

韓国人ゴルファーの中には、自分の名前をカタカナで登録している人もいるようですが、それが正しいのではないか、と思います。日本でプレイして自分の名前を漢字(しつこいようでうすが、日本語としての漢字)で登録した以上は日本語読みを日本側がするべきでしょうし、それを受け入れてもらわなければなりません。もし仮に、朝鮮語読みをせよ、という人がいれば不遜ではないでしょうか。

全美貞さんがどう考えて漢字で登録しているのかは知りませんが、マスコミ側の問題だと思います。当然、「ゼンビテイ」と読むべきではないでしょうか。もっと、日本語に誇りを持ってもらいたいものです。全美貞さんに文句を言っているわけではありません。彼女の綺麗なフォームは大いに参考にしたいと思っており、また、プレイ態度も良く、好きなゴルファーの一人です。

ところで、「ミチェリン」、「チョピン」とは何か分かりますか?

英国では、ミシェランタイヤをミチェリンタイヤと言います。フランス語である綴りを彼らは当然英語読みしますから、そういうことになります。後者は「ショパン」です。それで良いのではないでしょうか。

日本で漢字を使っている場合は日本語読みをする。日本語読みをされるのが嫌な場合はカタカナを使ってもらう。当たり前のことを、まず、マスコミに率先してやってもらいたいものです。

(2009.10.4)

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2008年12月 5日 (金)

クリスマスと多神教

街はクリスマス一色です。キリスト教徒でもない日本人がなぜキリストの降誕を祝うのか分からない、というような理屈はさておいて何事もにぎやかであればよいではないかということで、おそらく我が家もケーキ位はクリスマスに出てくることでしょう。

ここで強調したいのは「・・・というような理屈はさておいて・・・」と考えることができる日本人の発想方法は非常に貴重だということです。その心の奥底に日本人のDNAである多神教があります。つまり、八百万の神(やおよろずのかみ)が日本人の心の中に居るからです。万物に神が宿り、その数は八百万であると考える民族はそんなに多くありません。古くはギリシャ神話でおなじみの神様はこれに近く、古代ギリシャ・ローマでは日本人と同じように神に対する理解をしていたと思います。ただ、彼らはキリスト教という一神教に改宗し今や歴史の彼方です。中国も似たような発想があったのではないかと思いますが、いまや共産主義という一神教に染まっています。

神とは何でしょうか? いろいろ考え方はあるのでしょうが、神とは正義である、と言っても良いでしょう。特に、一神教の世界ではそうです。日本人から見れば神話からも知っているように、神といえども、いたずらもすれば良くないことをする場合もある、と理解しています。お稲荷さんを信仰する人もいれば八幡さんを信仰する人もおり、お互いが反発しあうこともなく、旅行に行けばその土地の神様に詣でています。

このことから。日本人の心の中に「これしか正義はない、とは思わない。絶対的正義なんてまやかしだ」という気持ちがDNAとして組み込まれています。そういうある意味で白紙の心にうまく進入して「正義は一つだ」と信じ込ませた例が全学連の武力闘争でしょう。自分が正義であれば、それに反対する輩は悪ですから殺しても構わないという発想になります。

自分にとっての正義は必ずしも相手にとっても正義であるとは限らない、という気持ちが世界中の人々にあれば、多くの戦争やテロは避けられると思うのですがいかがでしょうか? 自分にとっての正義を尊重してもらうために他人の正義を尊重するということです。本来、それを担保するものが民主主義であったはずですが、民主主義を標榜する国家にも他人に自分の正義を押し付ける傾向が見られます。

こう考えると、日本人はDNAとして戦争を好まない体質だと言えるのではないでしょうか。では、戦国時代をどう考えるのか、ということですが、「天下万民のため」と標榜して戦ったた例は日本のみでしょう。そして本当に天下を統一した後は当時としては世界に類を見ない市民社会を実現させました。世界の芸術を見てもそのルーツが庶民にあるような芸術はあまりありません。世界を旅行して、見物するのは支配者である僧侶や貴族のための芸術です。第2次大戦は軍人達が日清・日露戦争に勝った驕りと変な正義感を持った結果でしょう。

それでは、盛大にクリスマスを祝いましょう。もちろん、正月には神社詣でをお忘れなく。

余談ながら、江戸城(現在の皇居)の本丸は江戸の始めに焼失しましたが、再建されていません。いろいろ事情はあったのでしょうし、江戸幕府に再建するだけの力(権力)はあったはずですが、それをしていません。将軍家に無駄な消費は庶民の生活を困窮させる、という気持ちがあったのではないでしょうか。西洋の素晴らしい貴族の館や城館を見学すると、ふとそう思うことがあります。

(2008.12.5)

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